老子第37章 道は常に為す無くして、しかも為さざるは無し
老子は五千余語・81章からなるが、1章から37章までの上篇を道経、38章から81章までの下篇を徳経と呼んでいる。
その内容は、道と徳の意義を説いた書であり『老子道徳経』とも呼ばれている。
この37章は上篇として道を語る最後の章になる。
道とは、1番はじめに戻ること
道は=首とシンニュウ=からなっている。
すなわち、首が1番・はじめ、シンニュウは走る・其処へいく、という意味だから、
道とは=原点に戻る・1番はじめに戻る=ことになる。
1番初めにあったものは『宇宙の法則』である。
それを宗教の方では全能なる神と呼び、老子は道と呼んでいる。
その道とは宇宙の法則であるから常に何事もしない。
神、仏、人間や悪魔、餓鬼、畜生の意思や欲を意図的に達成してくれるものでなく、法則通りに動くだけである。
宇宙の1存在である人間は道=宇宙の法則によってのみ、生まれ・成長し・活動し・老いて・死滅していく存在。人間が宇宙の法則通りに存在するものである以上、道は何事もしてくれないけれど何もしないわけでもない。
この世のあらゆるものは道の顕れであり道がその存在を認めたもの。
道の法則に従うものは欲の少ない自然な生き方をできるが、道の法則に従わない不自然な生き方をしているものに対しては、名付けられない樸の重みで抑制すべきである。
道を体得した為政者であれば樸の重みで自ずと天下は収まるであろう。
その、名付けられない樸はやはり欲望のない状態をもたらすからであり、欲望を断って静かならば天下は自然に安らかになるからだ。
しかし、現実の政治がこのような無為自然の行いで治まるとはとても考えにくいし、このような国家があったという歴史を私は知らない。
しかし、老子の道の教えは宇宙の法則・真理を語っているから、私の知らない真理が必ずその中に隠されているものと信じている。
将来的には、人間が成長しこのような素晴らしい国が誕生するのかもしれない。
現状では、これを国家論としてでなくて個人の人間性の向上としてとらえ、名付けられない樸の重みで抑制すべきであるということは『自然体で生きる』ということだろう。
老子を読んで自然体で生きるということが、道と共にあるということである。