かねだ流~老子講義~自然体の生き方

健康法(導引・呼吸法)と老子道の考え方をベースに自然体でラクな生き方指導をして40年。兼田流の独自の老子解説

老子第27章 善く行くものは轍迹無し。

老子は宇宙人か神だったのだろうか?

なぜならこの27章は、2,000年後の現代科学文明を予見したかのような内容である。

それは、道理にあった優れたものは"無”が必ずある。
すなわち有と無とが合体したものこそが優れていると示唆している。

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たとえば、優れた輸送手段は、車が轍(わだち)を残さない。
それは、飛行機が空を飛んだり、リニアモーターカー(有)のようには磁気(無)で動き車輪や線路がないことを意味している。

またテレビ(有)は電波(無)で送信され電線がない。
スーパーコンピューターは、ICで動き計算式がない。
電子錠は指紋、声紋、光彩で開き鍵などないなど。

まさに、老子の道=真理は、2,000年前も現在も不変でありいろいろに応用できるから使い勝手がいいのである。

だから、道は科学文明にも、人間の道徳にも、応用できる。

例えば、道の習得者は、自分の業績を自慢せず後世に何も残さない。
その言葉は、正邪、白黒をわけず、是非、善悪を強調しないから傷がない。
物事を図るときは根本の幹を重視し、枝葉末節までそろばんを弾かない。
自分の言動で相手を縛りつけないで、自由で自立できるように導く。

このような道の修得者は万物同根という基本原則に立脚しているので人を見捨てたり、ものを粗末に扱わない。
彼は、陰陽の原則のよくわかる明察の人といわれ、あらゆる物や人また、事象を自分の道の修得の資として成長することができる。

道の素晴らしさを知らない凡人は、善き師に導かれていることに気づかず、師を尊とばず、その教えをおろそかにするから、どんな優秀な人でも迷いに陥る。
それが要妙であることを知るべきである。